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レポートの課題がてら大阪の国立国際美術館で開かれていた『モディリアーニ展』へ行ってきました。美術館に行くのなんて何年ぶりだろ…
これは映画を見るときにも言える事なんですけど、自分、頭が悪いくせに何でも理屈捏ね回しすぎだな、と。「Don't think!! Feel!」ってのが出来なくなったのはいつからだろう。 こういう絵なんて、薀蓄言わないで自分の中でどう思うか、もっとイマジネーションだけで鑑賞することが出来たらどれだけ素敵なことだろう、と思います。 モディリアーニの絵は、瞳がないものばかりではない。効果的に書き込んだり書き込まれたり(その違いが分かれば一人前ですか?)単純化された線と点描的な背景と。沈んだ色。放心したような人物の顔。落ち着いた気にさせると同時になんだかとても不安な気持ちになります。 モディリアーニの生涯を描いた『モディリアーニ 真実の愛』という映画はとても良かったなぁ…泣いてしまった。アンディ・ガルシアは繊細な役をあんなにも美しく出来るなんて、とても芸域が広い人。 ジェラール・フィリップが主演した『モンパルナスの灯』も見てみたいです。 |
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暑くてたまりませんが皆様どうお過ごしでしょうか。ここまで気温が上がると限界まで挑戦してみたくなりますね。クーラーのない部屋を閉め切って『狼たちの午後』を見るとか。あの銀行のシーンは死ぬほど暑そうだったなぁ…
朝の6時に一度目が覚めて燃えるごみを出し、それから8時まで再び寝てしまったのですが、眠りが浅かったせいか物凄く奇妙な夢を見ました。 どこかの劇場の舞台稽古。エキストラとして後ろのほうに突っ立っていた私はなぜか関根勤の付き人で、逃走しようとする彼を追いかけてデパート中を走り回ります。なんとか説得して劇場に連れて行くと、そこでは演出としてポール・ニューマンが大勢の人間に演技指導をしていました。上手く行ってないのか難しそうな顔をしています。「うわー本物だー;;」とその後姿を見守っていたらいきなり喋りかけられて更にワタワタし、とりあえず何か談笑してます。うそろそろ時間だな、というときに「サインしてください!」とノートを突き出します。やれやれと言った顔でサインをするニューマン。そこで「あなたの大ファンですっ最高でした『ロイ・ビーン』」とかまくし立てる小土井。そうしたら、「ああ、あれね」と笑ったニューマン背を向けざま手を振ってかっこよく退場。見送ったのち、小土井感動のあまり号泣している、ところで目が覚めたのですが本気で泣いていたという… あまりのイタさと突っ込みどころの多さにいろいろ笑えてきます。『ロイ・ビーン』はマニアックすぎるだろう(苦笑)そして何故関根勤… 目が覚めた瞬間思ったのは、ニューマンが死んじゃったんじゃないかという怖い第六感。思わず新聞とケータイのニュースを確認しました。基本不信心な女ですが、最近そういう感(?)っぽいのがよくあたるのでなんだか気持ち悪い…あーもう縁起でもないこと言ってごめんなさい! でも、彼が死んだら私は泣くかもしれない。ほんまアホやなぁ、と思うのですけれど。さよならの準備なんか出来ていない。 |
昨日投稿したつもりだったのに出来てなかった;何故だ?; ジョン・トラボルタとニコラス・ケイジ、移植されるならどっちの顔がいいかと妹に尋ねたところ「何の嫌がらせだ」と一蹴された小土井です。日本ではいまひとつ人気がない大物スター二人の一騎打ち。 また一つ劇場で見なかったことを悔やむ映画が…ジョン・ウー監督の映画を見るのは今回が初めてなのですが、アクションの流麗さに息を飲みました。サム・ペキンパーみたいなスロー、教会で嵐の予兆を感じて飛び立つ鳩の群れ、流線を描いて飛び散り降り注ぐガラスの破片、派手な火薬の爆発。もう、挙げていけばきりがないです。しかもこれら複数が立て続けでも全然間延びしない…あの鏡越しに銃を構えるシーンとか、ゾクっときた。あのシーンだけのためにDVD買ってもいいやって思うくらい。 導入部分はSFチックで、メインとなるアクションとのギャップにちょっと違和感があるのですけど、発想自体はとても面白い。サングラスを下げる仕草とか愛撫とか、お互い数点のはっきりした癖を挙げておく以外は役者の腕の見せ所。敏腕刑事のトラボルタがイっちゃってる凶悪犯のケイジに、ケイジはトラボルタに。でも過去に二人が演じてきた役柄のイメージとしては、入れ替わっちゃった後の方の役がそれぞれ似合ってるな、と感じるわけで…でも物語の上では人格が交換され…ああややこしい!!; インパクトでは冒頭のケイジがほんとにキモいし(大讃美)アクションも逃げまわすときの困惑顔もやっぱりはまってます。メリハリのある演技をなさる役者さんなので、どうしても印象に残りやすい。対するトラボルタは若干押され気味。刑事に成り済ました(つまり顔を奪って逃げた)時の行動がちょっと曖昧だし、奥さんや子供に対するラフさはいい感じなんですが…やっぱり美味しいところは全部ケイジに持っていかれた気が。ご愁傷様です。 とグダグダ言いながら、これだけアクションに特化されると正直ストーリーの粗なんかどうでも良くなってきます。タランティーノが惚れた男、ジョン・ウー。次は『M:I‐2』でも借りてくるかな。 |
最近レポート書きながらyoutubeでLinkinParkの『numb』をエンドレス再生しています。最近方向転換しちゃったみたいだけど、この曲が凄く好きでした。映画『マイアミ・バイス』が公開されたときにマイケル・マンがこの曲をテーマに使って、しかも主演はコリン・ファレル!と、一人で盆暮れ正月クリスマスがまとめて来たんじゃないの、という騒ぎ、せめて劇場公開中に気がつけばねぇ…(騒いでいた時期→レンタル開始直前)いえいえ、興味はあったんですよ…でもちょうど高校の体育祭と文化祭の時期でめちゃくちゃ忙しかったのと、『X-MENファイナルディシジョン』を観にいったら予算が切れたのと…マイケル・マンだって気付けば親に借金してでも観にいってたのに(涙) マイケル・マンが好きな理由。 ・ハードボイルド ・音楽の選曲と使い方が素敵 ・スピード感 ・アル・パチーノとロバート・デ・ニーロを同じ画面に映したという快挙 最後の奴は個人的見解なので無視してよろし。でもトム・クルーズ嫌いだった私の拒絶反応を少しでも和らげたものとして挙げるならやっぱり『コラテラル』だったのも事実。俳優さんの使い方が面白い、のかな? コケたのか、コケてないのか。そんなのもういいです。福々しい(好意的表現)かつ金髪のファレルが思ったよりも悪人面だったとか、もう私彼が好きだからそんなの気にしない(言っちゃった) コリン・ファレルとコン・リーを載せたボートが海原をぴょーんぴょーんと飛ぶシーンだけでもうご馳走様です。元祖のほうでも盛んにやってましたね。 時代が変わればヒーロー像が変わるのは当たり前で、監督のほうでもかなりイメージチェンジを図った模様…実は映画版を借りる前にDVD一枚分だけドラマ版を見たことがありまして(現在案の定シーズン1を観終わって停滞中)何で80年代ってあんなに明るいんだろう。マイアミって気候もあるかもしれないけどい…いや、明るいんじゃないのかな。それぞれ問題を抱えつつもそれを顔に出さないで快楽主義に耽ってるところがニヒルでかっこいい。そしてやっぱりドン・ジョンソンの憎たらしいほどの爽やかな笑顔! だから映画版でいきなりソニーが深刻そうな顔をしてたらみんなひっくり返っちゃったのかもしれない。 とも思ったんだけど、これを観た友人が「アクションが地味で面白くなかった」とボヤいていたので。確かに(納得←こら)監督は今回もリアル至上主義で押し通した模様です。 監督の映画で楽しむべきところはアクションじゃなくて、映画全体に流れる都会のドライな空気だということを理解するのに、小土井は2年くらい掛かりました(遅) 絶賛フリーだったソニーが恋した女は敵の情婦(?)、タブスは彼女持ち。ソニーが根無し草なのは相変わらずですが、刑事という職業のタブスだって明日は分からぬ身。<ネタバレ>彼女が敵の組織に拉致され重傷を負うことで彼の身にもしっかりと思い知らされる。情に負けたものが死ぬ。その狭間で戦う男たち、それがハード・ボイルド。立ち入れない世界だけにとてもかっこよく、眩しい。 傑作、とは言えませんが、是非とも映画館で1000円くらいで見たかったなぁ… |
レイフは兄貴のほうですよね…未だに覚えられないのですがどうしたら… 1992年のエミー賞を受賞したイギリスのテレビドラマ。パリを舞台に、『アラビアのロレンス』で有名なトマス・エドワード・ロレンスがシリア独立のために孤軍奮闘する、いうなれば映画の後日譚です。たとえば映画の冒頭でバイクをぶっ飛ばすシーンがありますが、それとまったく同じカットがあったり、明らかに意識しているんだろうなぁというところがいくつか見受けられます。 「夜に夢を見る人間は正常だ。朝目が覚めたとき、現実の虚しさに気づくことができるから。 昼夢を見る人間は手に負えない。見た夢を現実に映そうとするから。私だ」 『アラビアのロレンス』は衝撃を受けた映画の一つです。 オトゥールは純粋そうに見えてもともと狂気が含まれているような不気味さを持つ俳優さんですが、ファインズはきっとこれまでの経過から徐々におかしくなってきたんだなぁ、という不憫さがありますね。というかファインズって百面相;(オーバーアクトではないことを信じます)常にアルカイックスマイルなのですが、ほっぺたの引き攣り具合が半端なく怖い。 ロレンスについては是非とも調査してみたいところなのですが知識不足で残念…ロレンスがアラビアで働いたのはイギリスのためか、それとも映画の如くベドウィンのためであったか。実際のところは本人とイギリス政府のみぞ知る。今回の映画、自らの矛盾に気付きながらそれでもファイサルを擁護して…まぁ、かなり好意的に描かれています。 「アラビアの英雄であるイギリス人」ロレンスはヨーロッパでは有名人。一民族の族長でありながらも知名度は圧倒的に低いファイサル。報道陣に取り囲まれるロレンスにファイサルがムカつくのも仕方がない話です。そして更に可哀想なのは、そんな状況を望んでいないのに、祭り上げられてしまうロレンス。 ヨーロッパのロレンス支持=帝国主義の賛美になるということを彼らも気付いている。最初はあの有名な格好で公式の場に登場したりと、それでも真っ当な方法で自らの意思を主張していたりします、難しいとは分かっていても希望を持っていたりします。けれど政治の世界はそんなに甘くはない。自らの利益を優先させるヨーロッパの首脳陣と(ロレンスが彼らの思惑をよく知っていたし、意識していたということは、彼らがロレンスを繰り返し弾劾することで強調されています)、独立に過剰な期待をかけるファイサル。その板ばさみになったロレンスは追い詰められ…実際どんな人だったかは知りませんが、彼は自分で思っているよりはるかにストイックであったことは確かです。 また、父の死をきっかけに友人に自らの出生の秘密を語るところ。これは相当コンプレックスだったのでしょう…一番弱っているときに一番つらい真実を話す。凄い自虐; 「生まれたときから自らを偽っている」ロレンス。アラビアという全てをリセットした地で、思うが侭に生きたかったのでしょうか。でもそれこそ、彼の病的に近い潔癖さが自らを開け放つことを許さなかった。それに、結局イギリスという場所が追ってくる、逃げることは出来ない。 それとあの入浴シーンで、背中の傷を「鞭の痕じゃないのか」と訪ねられたときロレンスは凄く怒っていましたが、あれって確か映画で拷問を受けた場面とリンクしているんですよねぇ…何故怒るか理由がよく分からないのですが…; 似たような露骨な感情表現といえば、迫ってくる奥さんを拒絶する際の狂ったような笑い(まさしく「爆発」という表現が似合うような)とかですが、あれかな、ロレンス=ゲイ・セクシャル説を採ってるってことなんでしょうか。 ラストは割りとなぁなぁな感じで…というか、「まだまだこれからだ」という言葉は、清潔さを捨てたロレンスとファイサルが、政治という獣道を突き進んでいくということを暗示している…??結局彼らは効しきれなかった。最後、二人で駱駝に乗っている姿を俯瞰したモノクロフィルムが凄く切ない… うん、とりあえず『知恵の七柱』だ。 |






