最近レポート書きながらyoutubeでLinkinParkの『numb』をエンドレス再生しています。最近方向転換しちゃったみたいだけど、この曲が凄く好きでした。映画『マイアミ・バイス』が公開されたときにマイケル・マンがこの曲をテーマに使って、しかも主演はコリン・ファレル!と、一人で盆暮れ正月クリスマスがまとめて来たんじゃないの、という騒ぎ、せめて劇場公開中に気がつけばねぇ…(騒いでいた時期→レンタル開始直前)いえいえ、興味はあったんですよ…でもちょうど高校の体育祭と文化祭の時期でめちゃくちゃ忙しかったのと、『X-MENファイナルディシジョン』を観にいったら予算が切れたのと…マイケル・マンだって気付けば親に借金してでも観にいってたのに(涙) マイケル・マンが好きな理由。 ・ハードボイルド ・音楽の選曲と使い方が素敵 ・スピード感 ・アル・パチーノとロバート・デ・ニーロを同じ画面に映したという快挙 最後の奴は個人的見解なので無視してよろし。でもトム・クルーズ嫌いだった私の拒絶反応を少しでも和らげたものとして挙げるならやっぱり『コラテラル』だったのも事実。俳優さんの使い方が面白い、のかな? コケたのか、コケてないのか。そんなのもういいです。福々しい(好意的表現)かつ金髪のファレルが思ったよりも悪人面だったとか、もう私彼が好きだからそんなの気にしない(言っちゃった) コリン・ファレルとコン・リーを載せたボートが海原をぴょーんぴょーんと飛ぶシーンだけでもうご馳走様です。元祖のほうでも盛んにやってましたね。 時代が変わればヒーロー像が変わるのは当たり前で、監督のほうでもかなりイメージチェンジを図った模様…実は映画版を借りる前にDVD一枚分だけドラマ版を見たことがありまして(現在案の定シーズン1を観終わって停滞中)何で80年代ってあんなに明るいんだろう。マイアミって気候もあるかもしれないけどい…いや、明るいんじゃないのかな。それぞれ問題を抱えつつもそれを顔に出さないで快楽主義に耽ってるところがニヒルでかっこいい。そしてやっぱりドン・ジョンソンの憎たらしいほどの爽やかな笑顔! だから映画版でいきなりソニーが深刻そうな顔をしてたらみんなひっくり返っちゃったのかもしれない。 とも思ったんだけど、これを観た友人が「アクションが地味で面白くなかった」とボヤいていたので。確かに(納得←こら)監督は今回もリアル至上主義で押し通した模様です。 監督の映画で楽しむべきところはアクションじゃなくて、映画全体に流れる都会のドライな空気だということを理解するのに、小土井は2年くらい掛かりました(遅) 絶賛フリーだったソニーが恋した女は敵の情婦(?)、タブスは彼女持ち。ソニーが根無し草なのは相変わらずですが、刑事という職業のタブスだって明日は分からぬ身。<ネタバレ>彼女が敵の組織に拉致され重傷を負うことで彼の身にもしっかりと思い知らされる。情に負けたものが死ぬ。その狭間で戦う男たち、それがハード・ボイルド。立ち入れない世界だけにとてもかっこよく、眩しい。 傑作、とは言えませんが、是非とも映画館で1000円くらいで見たかったなぁ… |
レイフは兄貴のほうですよね…未だに覚えられないのですがどうしたら… 1992年のエミー賞を受賞したイギリスのテレビドラマ。パリを舞台に、『アラビアのロレンス』で有名なトマス・エドワード・ロレンスがシリア独立のために孤軍奮闘する、いうなれば映画の後日譚です。たとえば映画の冒頭でバイクをぶっ飛ばすシーンがありますが、それとまったく同じカットがあったり、明らかに意識しているんだろうなぁというところがいくつか見受けられます。 「夜に夢を見る人間は正常だ。朝目が覚めたとき、現実の虚しさに気づくことができるから。 昼夢を見る人間は手に負えない。見た夢を現実に映そうとするから。私だ」 『アラビアのロレンス』は衝撃を受けた映画の一つです。 オトゥールは純粋そうに見えてもともと狂気が含まれているような不気味さを持つ俳優さんですが、ファインズはきっとこれまでの経過から徐々におかしくなってきたんだなぁ、という不憫さがありますね。というかファインズって百面相;(オーバーアクトではないことを信じます)常にアルカイックスマイルなのですが、ほっぺたの引き攣り具合が半端なく怖い。 ロレンスについては是非とも調査してみたいところなのですが知識不足で残念…ロレンスがアラビアで働いたのはイギリスのためか、それとも映画の如くベドウィンのためであったか。実際のところは本人とイギリス政府のみぞ知る。今回の映画、自らの矛盾に気付きながらそれでもファイサルを擁護して…まぁ、かなり好意的に描かれています。 「アラビアの英雄であるイギリス人」ロレンスはヨーロッパでは有名人。一民族の族長でありながらも知名度は圧倒的に低いファイサル。報道陣に取り囲まれるロレンスにファイサルがムカつくのも仕方がない話です。そして更に可哀想なのは、そんな状況を望んでいないのに、祭り上げられてしまうロレンス。 ヨーロッパのロレンス支持=帝国主義の賛美になるということを彼らも気付いている。最初はあの有名な格好で公式の場に登場したりと、それでも真っ当な方法で自らの意思を主張していたりします、難しいとは分かっていても希望を持っていたりします。けれど政治の世界はそんなに甘くはない。自らの利益を優先させるヨーロッパの首脳陣と(ロレンスが彼らの思惑をよく知っていたし、意識していたということは、彼らがロレンスを繰り返し弾劾することで強調されています)、独立に過剰な期待をかけるファイサル。その板ばさみになったロレンスは追い詰められ…実際どんな人だったかは知りませんが、彼は自分で思っているよりはるかにストイックであったことは確かです。 また、父の死をきっかけに友人に自らの出生の秘密を語るところ。これは相当コンプレックスだったのでしょう…一番弱っているときに一番つらい真実を話す。凄い自虐; 「生まれたときから自らを偽っている」ロレンス。アラビアという全てをリセットした地で、思うが侭に生きたかったのでしょうか。でもそれこそ、彼の病的に近い潔癖さが自らを開け放つことを許さなかった。それに、結局イギリスという場所が追ってくる、逃げることは出来ない。 それとあの入浴シーンで、背中の傷を「鞭の痕じゃないのか」と訪ねられたときロレンスは凄く怒っていましたが、あれって確か映画で拷問を受けた場面とリンクしているんですよねぇ…何故怒るか理由がよく分からないのですが…; 似たような露骨な感情表現といえば、迫ってくる奥さんを拒絶する際の狂ったような笑い(まさしく「爆発」という表現が似合うような)とかですが、あれかな、ロレンス=ゲイ・セクシャル説を採ってるってことなんでしょうか。 ラストは割りとなぁなぁな感じで…というか、「まだまだこれからだ」という言葉は、清潔さを捨てたロレンスとファイサルが、政治という獣道を突き進んでいくということを暗示している…??結局彼らは効しきれなかった。最後、二人で駱駝に乗っている姿を俯瞰したモノクロフィルムが凄く切ない… うん、とりあえず『知恵の七柱』だ。 |
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講義が午後一つだけなので寝坊する→ああバイト探さなくちゃいけないし自分大学生としてこんなに無気力で良いんだろうかと起き上がりつつ考える→最近完全車椅子になった祖母の介護をする→通学のとき電車の中で『いちご白書』を読む(主人公自分と同い年!!)→学校で誰も友達と会わない→今日は母が妹の懇談なので祖母の面倒を見るために早く帰る→思春期特有のセンチメンタルな鬱感情に押しつぶされそうになりました。馬鹿なのかな…とにかく『いちご白書』は効いた効いた…;
で、挙句の果てに困り顔が可愛いコリン・ファレルの激痩せ写真に悲鳴を上げそうになったというですね…自分痩せてるならばまだ太ってるほうが良いという人間なので…トリガラみたいになってたよ… 困った顔の人が好きです。コリン・ファレルとか、ラッセル・クロウとか。 ブログに愚痴を書くってのは自分が読者になった場合一番面白くないものだと思うんですけど…こんなこと親には言えないよなぁ… 自らをオタクオタクと連呼していますが、私はこの言葉を使うとき卑称として用いているし、社会でもそうなんじゃないかと思います。 何か一つに熱中することをオタクと呼ぶのなら、昔からオタク人種ってのはけっこういるわけで。釣りが好き、とか、車が好き、なら社会に認められてるけれど、アニメとか漫画とかは拒絶される。根本はそんなに変わらないと思うのですが…またもや尊敬する天野祐吉氏の言葉を引用させていただければ「文化に上下は無い、全て横一列に並んでいる」って。 ネット社会にはびこる人間が引き起こす事件の増加に(特にアキバの事件で)オタクバッシングが再燃してますね。だからこの言葉もあんまり使わないようにしたほうがいいのかなぁ… 同じオタクとして意見を言わせていただければ、オタクとは本来高尚な趣味―「奥様の隠れたお楽しみ」(?)的な―であるべきものだと思います。「趣味」であるから、他人にむやみやたらと勧めるなんて論外。そもそも自ら主張するべきもんではないと。好きな人同士でひっそりやればいい。マイノリティとしてのおたく。だから今のようにメディアに露出しまくってるのはどうにも好きません。『電車男』とか、ちょっと…オタクはどこまでも業の深い生き物ですよ… だからインターネットの普及がオタクを倍増させたってのは正しいですよね。インターネットは会話と違って取捨選択出来るし、言い捨て上等だし。コミュニケーションだとか言いつつ、実は全て自らの中で完結しちゃってるんじゃないかなぁ、と。だから愚痴を零しても許されたり、とんでもない誇大妄想が広がったりする… と、えらそうに書いたところでこれらの意見が全て自分に跳ね返って来そうなので、自省します。 |
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午前中しか授業が無いからといってすっかり気を抜いてしまい、Gパンに黒のしゃれこうべTシャツという一歩間違えばフランク・キャッスルな格好で学校行ってきた小土井です。私はあんなにマッチョじゃないし、特殊兵器も扱えませんが…
映画『パニッシャー2』、トム・ジェーンじゃなくなっちゃうらしいですね…(しょんぼり)。ドルフ・ラングレン版はまだ発見できず未見で何とも言えませんが、トム・ジェーンの最強具合(最初に見たのがこの映画だったので、しばらく彼をアクション俳優だと思い込んでました)気勢を挫くギャグがとても好きでした…そのうち映画感想をば。 レポート書けないー!(涙)指定された図書を読んで批評して来いって課題なんですが、古い本&その分野のお偉いさんが書いた本なので口調が硬い。シェークスピア劇並みにまだるっこしい言い方をなさるのでイライラしてきます… 内容自体はまぁまぁ面白いんですがねぇ;「課題」にされたら途端やる気が失せる捻くれものです。他にも読みたい本があるのに、これがあるから何時まで経っても読めない! 徹夜にはならないように頑張ります… |
今までツタヤに行ってもVHSでしか置いていなかったし、手にも入りにくかったんですが、このたび製作10周年ということでDVDが発売とのこと。めでたい! キャストが豪華なんですよ…ケビン・スペイシー、ラッセル・クロウ、ガイ・ピアースに、ヒロインとしてキム・ベイシンガーを。あとチョコチョコ出てくるジェームズ・クロムウェルにダニー・ディヴィッドとデヴィッド・ストラザーンやら、いい感じに固めていますが…でもこの頃、ラッセル・クロウとガイ・ピアースはまだ駆け出し(?)だったのかな?ブックオフで買った原作本に広報広告(?)が入っているのですが、見たところキム・ベイシンガーとケビン・スペイシーを前面に押し出してて宣伝してるようです。 原作はジェームズ・エルロイの『暗黒のLA4部作』の三つ目。一部登場人物がダブったりしているので、一応全部読むべきなんだろうな…現在これと『ブラック・ダリア』、既に映画化された二つを読み終わってちょうど折り返し地点で放置してます。 これは『ブラック・ダリア』を観たときにも思ったんですけど、エルロイの小説は、書き込みが異様に細かすぎて、登場人物をまとめたりメモでも取らない限り一回読んだ位じゃ完全に飲み込めない、ましてや完全映画化はとてもじゃないけど不可能。で、どれだけ上手く美味しいところをまとめるかが勝負になってくる…『L.A.〜』はカーティス・ハンソン監督、『ブラック〜』はブライアン・デ・パルマ監督なのですが、どっちも頑張ってるなぁと感心頻りです。 父親や兄へのコンプレックスから異常なほどの上昇志向を持つエクスリー、目の前で父親に母親を惨殺され女性への犯罪に執心するホワイト(クロウ演じるこの刑事は、同じく何者かに母親を殺害されたエルロイの化身なのかもしれませんね)、芸能界と癒着し灰色の部分を上手く渡り歩いている敏腕刑事ヴィンセンズ、この三人に一人の娼婦、そして、一見何の関係も無いように見える三つの事件。登場人物全ての思惑が最後には一つに重なり合い、思わぬ黒幕の登場。 暴れん坊のラッセル・クロウ、まともに見えてどこか歪んだガイ・ピアース、 50年代ロサンゼルスという暗黒地帯、その闇を作っているのは他でもない自分たち自身。登場人物全員が屈折しているので鬱陶しいって言えば鬱陶しいのですが、映画全体のノリ的には『アンタッチャブル』みたいな感じなのでとても楽しい。ラストなんかかなり雰囲気(ストーリーではなく、雰囲気)が似てると思うのですが、実はとても寂しい。 興味があれば是非とも原作込みでお勧めします。 |
トニー・スコット監督は『トップガン』やら『エネミー・オブ・アメリカ』、『スパイ・ゲーム』と、売れっ子の部類に入るんじゃないかと思うのですが…上手くはいえないけれど、視点のあまりのストレートさがちょっと不安になるときがある。 『タクシードライバー』のイメージがあるように、デ・ニーロは偏執的な役を演じさせたらこっちが泣いちゃいたくなるくらい気持ち悪い演技をしてくれますね(褒めてます)これもその中の一つです、が… ウェズリー・スナイプスといえばどうしても『ブレイド』やハル・ベリーとのゴシップのイメージが強く、なんか怖い人やなぁと思っていたんですが、演技力自体は悪くないんじゃ無いかと思いました。ベニチオ・デル・トロが今では考えられないような可哀想な役で登場しています(苦笑) 情けない自分をスーパースターの大リーガーに投影していくうちに、タガを外れ暴走していく、という…こらデ・ニーロ、それ『キング・オブ・コメディ』と同じじゃないか!と思わずツッコミそうになりましたが、この映画にはコメディ要素がありません。『キング〜』だって正直毒々しすぎて全然笑えなかったんですけど、あれはスコセッシ監督が作品の中にブラックユーモア要素を含めている、という前提が明確になった上でストーリーが流れていったのでまぁ、いいか、と少しは救われたのですが… 怖い役というのは影が薄いのも困り者ですが気持ち悪すぎるのも観るに耐えなくなってくるということを明確に示してくれる作品。 海で溺れかけたスナイプスの息子を助け、別荘で服を借りるシーンがあるのですが、あの時ユニフォームに袖を通して一人悦に入ってる様子とか、思い出しただけで鳥肌が立ってくる;アラン・ドロンが『太陽がいっぱい』で同じことをしても耽美なだけだったのに、なんでデ・ニーロだとこんなに気持ち悪くなるんだ… 他面、離婚して別居中の息子を相手に自分の過去の栄光を語って見せたり(彼はリトル・リーグの花形選手だったようです)、精一杯可愛がってたり。そしてお決まりの如く会社では窓際族。絵に描いたようなダメ親父です。感情を内に篭らせるしかない彼は、爆発の仕方も陰湿。中では嵐が渦巻いているのだけれど。劇中ではローリング・ストーンズの曲が多数挿入されているのですが、「gimme shelter」冒頭”Oh, a storm is threatening My very life today”ってのがまさしくぴったりです。 スナイプスだからなんとかなるだろう、という酷い安心感を持っていたのでサスペンスにも関わらず非常に安心していたのですが、何とかなりましたね。とは言っても大リーガーの役なのでアクションはしません(当たり前だ) わりと地味な感じの映画で、役者が役者じゃなきゃな…感も否めませんが。 デ・ニーロの偏執的役柄でもう一つあちゃーっぽいのが盟友マーティン・スコセッシ監督と組んだ『ケープ・フィアー』なんかだと思うのですが、こっちは元祖版(『恐怖の岬』というタイトルでロバート・ミッチャム&グレゴリー・ペックという素敵な配役)を未見なので、そっちを観次第比較対照してみたいと思います。 |
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しばらく立て続けにジョン・ウェイン主演映画ばかり観ていたので気分はもう騎兵隊です。ふぁーあうぇい!(レポートのせいでテンションが異常)
バイトを探さないせいで真剣に貯金が風前の灯…劇場で映画を見るのもしばらくお預けかなぁ…本当は今日『幻影師アイゼンハイム』か『最高の人生の見つけ方』を観にいくつもりだったのに、気がつけばリムーバーとベースコートと『片目のジャック(399円DVD)』を買って帰路に着いていました…だって女の子なんだもん(涙) 少なくとも最後の奴はぜんぜん女の子じゃないというツッコミはごもっとも。 小土井父の趣味はワンコインDVDの収集。でも悲しきかなオタク体質のため非常な偏りが…棚を覗いてみると…ジョン・ウェインとボギーとチャップリンと…ヒッチコックも好きなようですな。半分くらいがそれ、残りがいろいろ。 で。確かに上記の人は映画界の黄金時代を築いた人々ですが、ほかにも管理人の愛するヘンリー・フォンダやらモンゴメリー・クリフトやらマーロン・ブランド、とそこらへんにはあまり興味を示してくれない。しょうがないから、最近「小腹が空いたけどこの100円で菓子を買ったつもり!」などと辛気臭いつもり貯金を実行してブランド関連を密かに買い集めていたりします。ダイエットと貯金が同時に出来ますよ、ワオ! 同じく映画オタクというものでありながら大きなジェネレーション・ギャップを有する小土井家父娘。本来ならオタク同士の宿命として激しい対立をもよおすのが普通ですが、お互いの趣味には出来るだけ批判を出さないようにとの暗黙の了承がいつのまにか成り立っています。とりあえず良い映画を観たら良い、と素直に褒め、鑑賞中にいちいち薀蓄を語らない(←オタクっていうのはとにかくこれをやりたがるものですが、あんまりうるさくマレーネ・ディートリッヒについて語りだした小土井父にブチ切れた小土井が一度席を蹴って以来、まぁ、マシになったと言えましょうか)、別にどちらが言い出したものでもないのだけれど。 とりあえずそのうち小土井父と買い物に行ったとき、小土井が前から見たい見たいと言っている『赤い河』や『陽のあたる場所』を買ってくれることを祈って。その間に小土井はバイトでも探しましょう。(自分で書いててあまりの親不幸さに涙が出そうだよ…) |
主人公の名前がヨーク中佐って言ってたから、もしかしたら以前感想を書いた『アパッチ砦』の後日譚になるのかなぁと思いつつ…でも騎兵隊三部作の中ではこれが最後の作品だし、『アパッチ砦』との間に『黄色いリボン』が挟まってるわけだし…時代的にちょっと間が空きすぎてるのか…むむむ… 三部作の中では一番アクションが派手、だそうですが…?いや、ばらばらになった家族が再び認め合っていく、すなわち家族愛がメインです。 ジョン・ウェインってあんまり髭が似合わないなぁと思いつつ、今回はフォード一家で(とかっこいい言葉を使うものの未だに顔と名前が一致しないもしくは出演してるのに発見できないというど素人…今回はベン・ジョンソンとハリー・ケイリー・Jrがいた…んじゃないかな…←あやふや)ウェインとは黄金コンビなモーリン・オハラが今回が初競演で奥さん役。そういえばこの二人と監督、全員アイルランド系だって言うのが、フォード監督らしくていいなぁと… 任務で奥さんが代々持っていた農地を焼いてしまったため夫婦別居状態になっている軍隊一徹な中佐とたまたま砦に配属されてきた15年会っていなかった一人息子、そして息子を除隊させようと追っかけてくる奥さん。少しずつ家族の絆が修復されてきたと思いきや、アパッチ達が襲撃を…! 過去の解決できていない確執から息子の教育方針に至るまで、別にマムとダッドが喧嘩なんかしなくても、息子は立派に育っていくよ、という話です。 息子が父親を馬鹿にされて決闘してるシーンで、こっそりと心配そうに見ているウェインの後姿。別のところで寝てくるよ、とウェインが営舎を出て行った後、食器棚に置いてあったオルゴールを聞いてオハラが過去の感慨に耽ってるシーン。男の不器用さと受け入れる女の優しさ、いかにも西部劇、って感じでとても素敵。 襲撃してはメキシコへ逃げ帰るというヒット・アンド・アウェイを地で行くアパッチ族にイライラしている中佐は、砦の子供たちを誘拐されとうとう怒りを爆発。軍法会議にかけられるのを承知で国境を越えます。そこへ息子とその友達の友情とか子供好きなおじさんとかいろいろ絡んで、まぁ、そんな感じ(どんな感じだ)最後も粋でよかった。 息子役のクロード・ジャーマン・Jrは『小鹿物語』なる映画に登場していたそう。残念ながら未見ですが、小土井の好きな池波正太郎氏がエッセーの中で原作の方の食事描写があまりにも美味しそうで戦後すぐでひもじい時期の妄想を大いに掻き立てた、と書いていらっしゃったのを思い出します。 地元ローカル局で放送されている日曜洋画劇場(正確なタイトル忘れました;)、来週の映画が『ハスラー』だというのにそこはかとなく悪意を感じる小土井は少し神経質になりすぎているのでしょうか。 |
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近所で小学校以来会っていなかった幼馴染を見かけた、と母が言っていました。お水の人みたいな格好をしていてびっくりしたとのこと。お嬢だったのでまさか、と笑っていたら、派手系の女子大に進学していたとのこと。高校までは公立だった&地味な大学に通っている私はへぇ、とため息をつくしかありません。
小さい頃から地味だとか大人しいだとか言われ続けて、別にそれに不満を持ち合わせていたわけではないけれど、まぁ地味な人間の夢想としては一度はそういう派手系舞台を覗いてみたいなぁ、とも思うわけで。でもガラにも無く(お前には絶対向いてないから止めとけって言ったのに;)お嬢向け女子大に入学した友人が、二回以上同じ服を着ていったら「家が火事になったの?」と聞かれたとか言っていたのを聞く限り、やっぱり自分には向いてない世界ですわな。服は着回しが出来てナンボじゃい! 大学にもなると、小さい頃一緒に遊んだり、お誕生日会に呼び合いっこしたような子達でもどんどん変わっていくなぁ、と感慨深いこと頻りです。 しかし自分も、大学行ったらもっと派手に遊ぶ予定だったんだけどなぁ…こんなに必死こいて勉強しなければならないなって思ってもいなかったよ…ボーイスカウトだと思って入ったら海兵隊だったってくらいの落差です、ええ… 羽目を外すことも出来ず、自らの出来る範囲で地味な馬鹿をやらかし、それが自分には向いているのかな、と最近ぼんやり考えています。身分相応、ってとこかなぁ…などと魚の真似をして人生の意味を考えながらレポートを書いています。 |
なぜか公式サイトが生き残ってました↓ http://www.gaga.ne.jp/gangster/ 日本でポール・ベタニーの知名度が上がった時期が何時頃なのでしょう…『マスター・アンド・コマンダー』かな?『ダヴィンチ・コード』のセルフマゾヒスト(友人談)役くらいかな?私の場合この『ギャングスター・ナンバー1』をDVDで観て「この人キモいけどすごーい」なんて印象に刻みつけ、その後『ダヴィンチ〜』に彼が出演しているのを知って驚愕した次第です。『ギャングスター〜』、『ダヴィンチ〜』、そしていきなりフル・モンティで登場する『ロック・ユー!』と最初に見たのがこの三本だったので『ウィンブルドン』とかを観てもいつ血生臭い出来事が発生するかとヒヤヒヤしたものです(そんな馬鹿な) 他のキャストもなかなか…マルコム・マクダウェルってこれと『時計仕掛けのオレンジ』以外知りませんごめんなさい。(今回も怖い役でした…)デヴィッド・シューリス観ても「あっ、ルーピン先生だ!」と叫ぶ程度の知識… 舞台が現在と60年代を行き来するのですが、60年代イギリスのお洒落なこと。家具や服装一つとってもなんだかワクワクしてくる。あのスラーっとしたスーツがヒョロいベタニーにとても良く似合ってます。 それでなくてもメイド・イン・ブリテンのギャング映画はお洒落というイメージがありますから。そして中身はクールの皮を被った陰惨さで…イタリア系の如く重くはないので疲れないから良いんですけど。 奇怪な立ち姿、狂気を全面的に押し出した振る舞い、とにかくベタニーの演技は凄まじい。かなりの部分が彼の一人称なんですが、もう、ね…ゾクゾクしてくる。ほんと、私の言葉では語りつくせないくら いのインパクトです。 男の嫉妬は女の100万倍とか言われますが、主人公のフレディに対する感情は嫉妬なんて言葉を軽く飛び越している。映画最初のころ、主人公がフレディに対して持ち合わせていた感情からして奇々怪々。もともと主人公は凄く自己顕著欲の強い人間です。とにかく自分の力を誇示しないと気が済まない。そんな彼が唯一憧れていた男がフレディです。しかし主人公がフレディに賛辞を送ることは、同時に自らを卑下すること。彼の性格上これはかなりキツい。 このままだと自らが同時に所持する二つの意見が破綻しかねない。この常に「プラス」か「マイナス」かという概念しか持たない主人公が編み出した苦肉の策は「イコール」の状態を作る、すなわちフレディと同化してしまうこと。ロボットの如く冷徹に仕事をこなしフレディの片腕になろうとしたり、ネクタイピンを貰って狂喜したり。それはもう、主人公の名前がただ単に「ギャングスター」としか表記されていないことからも分かります。 で、カレンの登場。同化する人間の理想としては、主人公がフレディの如くカレンを愛してしまえば問題はなかったはず(勿論それはそれで問題発生ですが;)でも主人公はカレンを拒絶した。劣等感だ何だと言いつつも、フレディ本人からも大きな信頼を寄せられ、同化することに甘んじてたのかもしれませんね。同化するということは彼自身がフレディに近付くことであり、フレディを「吸収」した訳ではない。映画の中を通してフレディは勿論普通の人間で、自我をきちんと持っています。カレンを愛するフレディを見てその断絶に気付いてしまった時、主人公は恐慌状態に陥ります。 パニックから抜け出すにはフレディを切り離して脱却を図るしかない。それは自らの中で自身を「フレディのように」神格化させ、トップに君臨することを意味します。車の中から襲われるフレディとカレンを見守る主人公は神官のようだし、対立組織のボスを甚振って殺す様子はまさしく儀式。(このシーンの、被害者の側から主人公を撮り続けたアングルは恐ろしいけど美しい) しかしトップの座に上り詰めたところで、彼はフレディの亡霊を捨て切れなかった。いや、本人は捨てたと思い込んでいたのでしょう。だから、ラストでフレディの方から突き放されたことで、彼のプライドはズタズタになってしまう。いっそ殺されたほうが良かったのです、それはつまりフレディが彼に関心を持っているということ。彼の自己顕著はいつのまにか「フレディの持っていた輝かしさ」と同じ意味を持つようになっていた。こうなると最後は…嗚呼。 なぜか「俺の好きな斧だ。刃こぼれしやすいがよく切れる」というセリフがしばらく頭から離れませんでした。あのシーンのベタニーの静かな威圧感はほんと怖かった…血が出るのが駄目な人には進められませんが; |
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ランボー上映開始前の予告で初めて見たのですが
ヒース・レジャーに震撼。命を懸けるとはまさしくこういうことなのだなぁ…ああ(涙) 既に制作が決まっているらしいノーラン版バットマン三部作の完結編にはジョーカーは出てこないんでしょうか。バットマンには魅力的な悪役がたくさん登場するとはいえ(予告編でも影の如くちらっと映ってたのはトゥー・フェイスことハーヴェイ・デント(アーロン・エッカート)でしょうか?)やっぱり宿敵と言えばジョーカー。そして、ロビンの登場する日は来るのか…? 相変わらず喰えないマイケル・ケインとか、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン等前作からの素敵キャラも続投。噂ではキリアン・マーフィーがちょっとだけカムバックするとの事ですし、 無論主演のクリスチャン・ベールがどうバットマン/ブルース・ウェインを深化させるかも見所だし、とにかく役者陣がガッチリ堅いので、前作にも増して |
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『ランボー 最後の戦場』(2008)
監督:シルベスター・スタローン 出演: 初っ端から違う話題ですが、小土井の永遠のお兄さまポール・ニューマンが癌でやばい状態になってるとのこと、本気で凹んでいます。レッドフォードと再演するんじゃなかったの…回復を祈っています。 ぜんぜんスカッとしないアクション『ランボー 最後の戦場』を見てきました。以下ネタバレあり感想↓ |
学校帰りに一度行ってみたかった洋書専門店に行ってきました。 かなり古い本で初版が1975年かな?戦前から戦後すぐにかけてくらいのハリウッドの裏事情のルポルタージュ。ペラペラっとめくっていきなり射殺死体の写真が出てきたときにはびっくりしたけれど、あちこちで噂になってたから一度読んでみたかったのですよ。ペーパーバックだから雨に濡れないようにと(こういう日に限って土砂降りなんだなぁ!)厳重にビニール袋に巻き込んで鞄の奥底に保管。ふにゃふにゃのしわしわになることなく無事家に持ち帰ることができました。 洋書の類を真剣こいて読むのは初めてだったりします。ほんとに英語が出来ない女ですから。大学入試、あと20点あれば第一志望受かってたかもしれないのになぁ…しゃべれるように、というのは諦めたので、聞けるように、読めるようにというのを目標にしてはいるのですが、何を血迷ってか選択外国語を仏語専修にしてしまったため最近英語に触れるのは映画と音楽だけという壊滅的な状況に陥っています。読書は趣味ですが、一応自分なりのささやかな努力でもあるわけです。 一度目は辞書なしで読み、二度目に電子辞書を引っ張り出してくるというオーソドックスな方法でやってます。一章(数ページ)読み終える頃には軽く1時間以上経っているというとんでもない非効率さで、改めて自らの力の無さに凹みます。でもやっぱり興味のあるものは面白いので、苦痛にはなっていないところが救い。 まだ第二章(オリーブ・トーマスとジャック・ピックフォードの麻薬スキャンダルの件)が読み終わったばっかりです。この文章を打ち終わったら風呂に入ってまた続きを読むつもりです。 |
個人的意見。高校生ものの青春系ストーリーは苦手です。自分自身が傍から見れば病んでるとしか思えないような高校生活を送ってきたので、高校という場所に楽しい思い出が殆ど無い。よくもまぁ日々学校行ってたなぁと思うくらい実の無い生活でした; そんな私が珍しくしっくり来た作品。コロンバインで起きた高校生銃乱射事件をモチーフにしたストーリーで、カンヌでパルムドールと監督賞を受賞しています。監督は『マイ・プライベート・アイダホ』や『グッド・ウィル・ハンティング』のガス・ヴァン・サント。 台詞は全て役者のアドリブだそうです。90分も無いような短い話なのですが、異様に濃く感じた…カメラワークがとことん長い。一人の登場人物が道を歩いているとすると、彼が立ち止まるまでその後姿をえんえん撮る。ぴったりと寄り添うように。 事件を起こす二人の少年は物語中盤まで登場せず、その他のクラスメートたちの姿が映し出されます。飲んだくれの父親と潰れていく生活に苦悩するもの、写真部で活躍するもの、おしゃべりが好きな女の子たち、人目を引くカップル。人生を楽しんでいるものもいれば、悩んでいるものもいる。見回したら絶対どこかにありそうな風景。 そして二人の少年、アレックスとエリック。アレックスはいじめられっこ。エリックの方は詳しい描写はないけれど、あんまり周囲となじめてないのは確か。そんな二人が銃を購入し、高校を襲撃する。パソコンゲーム(人をバンバン殺すような)をしているシーンがありましたね。そういえばゲームの影響がどうとか問題になってたなぁ…でもそこらへんは小さな要因にはなりえるかもしれないけれど、決定要素でないことは確かです。 何故彼らが事件を起こすに至ったのか。エリックが校長を射殺するシーンでお前らが話を聞かないのが悪いんだ云々と言っていたけれど、原因の種ではあっても底から人を殺すことに至るまではもっといろいろあったんじゃないかと。 思ったのは、アレックスとエリックの無感動さ。というか、そもそもこの映画に喜怒哀楽なんて言葉で片付けられるような感情は出てきません。ぼんやりとした不安とか、痛みとか、暗さとか、痛いほど感じるのだけれど、それがダイレクトすぎてどこから来るものなのかよく分からない。本人たちにも分かっていない。 勝手な意見ですが、その根底にあるのは「繋がり」の希薄感だったのかもな、と。アレックスとエリックはいつも一緒にいるけれど、その結合関係はとんでもなく弱かったことがラストのシーンの結果なんじゃないかと。近くにいるのに伝わらない。 最後、アレックスはカップルに狙いをつけているとき凄く嬉しそうでした。どちらにしようか、と選んでいる彼の掌の中には二人の運命。いつでもぶち壊せる。 二人だけでなく、難を逃れたジョンが学校に向ける視線もガラス玉のようです。切り離そうと思えばあっけないほど簡単に切り離せる人と人との繋がり。でも何かと心を通わせられなくなった時、人間は妄想(というか、自分の想いの中)に落込んでしまうと思うんです。でも現実は進んでいくし、世界はとても残酷。耐えられなくなったから二人の少年は事件を起こした。耐えるでもなく、流されていくジョンはまだまだ苦しみ続けるだろうけど。 最初と最後に映される空の映像がとことん綺麗でした。不安定な色で、胸が締め付けられる。衝撃は強いけど、同年代の子に見て欲しいなぁと思いました。 |
いつの間にか部屋に潜伏しているゲジゲジを駆除してくださった方には謝礼として1000円差し上げます(泣) この『血と砂』、何度か映画化されていますが今回は初代です。元祖ラテン系美男子ルディことルドルフ・バレンチノの代表作であるこの作品、1922年製作の無声映画です。 花形マタドールのホアンが、妖艶な美女ドナのため破滅していくという単純ストーリーですが、ほんとこの映画はバレンチノの存在そのものに意味があったと考えても良いんじゃないでしょうか。 当時のファッション(メイク?)の都合上カットによっちゃ眉が繋がって見えるとか、揉み上げ長いな!とか、考えたことはいくつかあったのですが(苦笑) 何故彼の存在がこんなにも斬新でありえたかというと…31歳という若さで夭折したスキャンダラスな人生も一つありますが。彼と同年代の男性スターといえばロナルド・コールマンとか、ジョン・バリモア(ドリュー・バリモアのおじいさまです)とか、ダグラス・フェアバンクスに…ゲイリー・クーパーとかは少し後になったはず。あんまり詳しくないのですが…あ、この頃はちょうどチャップリン、キートン、ロイドの三大喜劇王全盛期ですね。 と、ぱっと見ただけでもいかにも!な紳士タイプか、もしくは西部劇の無骨な男のどちらか。 そこに登場したバレンティノ、写真か何かがあればよかったのですが…まさしく「セックス・シンボル」。なんと言ったらよいのか…そう、性的過ぎるんです。セクシーとか通り越して、露骨なくらいの、退廃感を感じさせるほどの。今でさえそう感じるのだから、当時どれほど異色の存在であったことかは想像に難くない。 だから役を選ぶ羽目になったのか、彼が演じたのはほかにアラビアのシークだとか、ロシアの貴族だとか… 今回もマタドールの派手な衣装と黒いマントをさらりと着こなし、目の保養です(黙れ) 同じ役を1941年にタイロン・パワーが演じているのですが…ハリケーン・ミキサー(そういえばバッファローマンってスペイン出身なんだ?)喰らっても笑顔で起き上がってきそう。幾らなんでも健康的すぎるわいな。1989年版ではシャロン・ストーンが主人公を誘惑する毒婦を演じたりと、やっぱりこの情熱たぎるスペインの情緒というものは、いつの時代でも人々をひきつけるものなのでしょうか。 |
三日続けてレポート提出&研究発表が回ってくるかもという絶体絶命の時期にも関わらずぽちぽちとブログを書く小土井さんはちょっと危機管理体制がなってません。現代っ子です。 80年代の 勿論突っ込みどころも多々あるわけですが。冒頭でBONJOVIの曲が流れた時点で噴出しそうになったよ… 二年ぶりに再会したハーレーダビッドソン(派手なライダースーツのミッキー・ローク)とマルボロマン(カウボーイスタイルのドン・ジョンソン)、二人の中年オヤジがバイクを乗り回したり現金輸送車を襲ったり義理と人情の筋を通したり暴れまくるお話。と書くとミもフタもありませんが、でっかいバイクを転がす二人はかっこいい。 熟考タイプで割り切りのよいハーレー(銃が下手くそ)と心配性で情に引きずられるマルボロ(ファザコン)、という設定なのでしょうが途中で性格が二転三転してそこはちょっと曖昧。でもこいつら二人が揃って走り回ってるだけでストーリーが成り立っている。 製作年の1991年といえば日本ではバブルぎりぎりの頃。対するアメリカではちょうど過渡期だったのでしょうか。つまりこの二人のようなまだアメリカンスピリットに溢れる世界とこれから先21世紀に向け経済的にクールにならざるを得なかった時代の。過剰なほどに男らしさを強調する二人の姿は古い時代の最後の咆哮だったのではないでしょうか。 トム・サイズモア(日本語を頑張ってる)演じる悪い銀行員が糸を引く暗殺者軍団の登場シーンがおかしくてなりません。あの足首までのロングコートはとことんダサいよ。 ハーレーとマルボロがプールに飛び込むシーンは『明日に向かって撃て!』を彷彿させますが、やっぱりそこらへんもアメリカン(?) ストーリーはあってなきもの、人生も日暮れ…とまではいかなくても、過ぎ去った時代に固執する男たちの後姿はちょっと悲しくもありかっこ悪くもあり、そして吹っ飛んでいる。かっこいい、のだけれどなぁ;バイク好きの人とかは気に入るんじゃないかな。「えーっ?!;そうやっちゃうか;」といちいち突っ込みながらみるのがよろしいかと。 |
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