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まさか「ラトルズ」がニコニコ動画にあるとは思わなかったので置いておきます。
その名の通り「ビートルズ」のパロディバンドで、モンティ・パイソン番組終了後のエリックとニール・イネスが立役者となり結成されました。 ロン・ナスティー(ニール・イネス) ジョン・レノンのパロディ。ラトルズのリーダー。ヒトラーの娘と結婚したあと怪しい宗教に入る。 ダーク・マクィックリー(エリック・アイドル) ポール・マッカートニーのパロディ。スマートさが売り。解散後はグレて?パンクバンド「Punk Floyd」を結成しかつての紳士的なイメージを払拭。 スディッグ・オハラ(リッキー・ファター) ジョージ・ハリスンのパロディ。インド系イギリス人。殆ど喋らないキャラ。何故かインド航空のスチュワーデスになる。 バリー・ウォム(ジョン・ハルシー) リンゴ・スターのパロディ。ドラマー。転身後実業家となり、のちに美容師界で大儲けをする。 (ウィキペディアより抜粋) の四人組ですが、エリックとイネスはそっくりに演技してるし、何よりも歌が上手い。バンドとしても十分に食っていけるレベルの高さです。 上記映像は「OUCH!」なる曲のPVなんですが、これはもちろん映画にもなってる「HELP!」のパロディ。イギリス人のジョーク大好きさ加減が大爆発してる。いいなぁ、これ… サタデー・ナイト・ライブに登場したりライブをしたり。ちなみに彼らの成功を描いたドキュメンタリー映画『THE RUTELS in ALL YOU NEED IS CASH』(「ALL YOU NEED IS LOVE」ではない )ではインド系イギリス人にされてしまった(ここら辺物凄くキツいと思うんですけど、笑)ジョージ・ハリスン本人が登場していたりします。『ライフ・オブ・ブライアン』の出資者だったり、エリックとジョージは仲が良いんですね。確かグレアムとリンゴも映画で共演してたり、いろいろ縁があるもんです。 |
試験が終わったー!!去年の如くだらりとした夏休みにならないように頑張って早寝早起きを心がけたいと思います。せめて9時には起きるように…(遅) で、昨日もちょっと話題に出した『戦場にかける橋』の話題。アレック・ギネスはこれでアカデミー賞を受賞したんですねー。 この映画を戦争映画の中でもどのようなジャンルに位置づけられているのか正直よく分からないのですが、私はブラック・コメディの一種なんだと位置づけています。だってあのオチは…あのオチは…!! 私が捻くれているだけかも知れません。けれど、斎藤大佐とニコルソン大佐の間に信頼が芽生えていたとはどうにも思えない。それよりも、両者間のどうしようもない断絶感、超えられない偏見。そして、消えることのない憎悪。映画全体に流れる雰囲気が険悪すぎて…リーン監督は日本人のこと嫌いなんじゃないかと思ったんですが、どうやら原作者の方が実際日本軍に捕虜となった経験をお持ちのようで。 信頼と憎悪は同時に持ちえるものなのか。ニコルソン大佐がやりたかったのは、乱れきった規律の建て直しというよりも、怠惰だとか根性がないとか侮辱を与えた斎藤大佐を見返すため。イギリス人はこれだけやるんだぞー、と。言葉の節々に見え隠れするイギリス人としてのプライドと、日本人への軽蔑感。でも、意地を張っている時点で既にニコルソンは斎藤とおんなじ土俵で相撲をとっていることになる。にも関わらず、彼は橋の建設に打ち込みます。手段は目的はやがて目的となり、やがて一番大事なことを見失う。この猛執というか、自らの中に存在する絶対的な軌範にしがみつこうとして挫けていくというのはアラビアのロレンスと被るなぁ、と思いつつ。 着々と橋を建設していくイギリス人捕虜たちの姿が感動的に描かれ、ニコルソンの大志が、斎藤の存在を風前の灯に追いやっていく。これはなんだよ、と思わずDVDの電源を引っこ抜きたくなってしまった小土井です。文学作品が得意な、まさしくイギリス人の、イギリス人による、イギリス人のためのリーン監督が、イギリス人を中心に据えてこの作品を撮るということは、物凄くいやらしいことだと感じるわけです。そんなの、大林宣彦が渡辺謙を主人公にして『ラスト・サムライ』を撮るみたいなもんじゃないか… そこに清涼を与える(見かけのことではない)のが、ウィリアム・ホールデン演じるシアーズ。彼は部外者に当たるアメリカ人で、『大脱走』ばりの脱出劇を試みたりと、作品の中で一番まともな人物。彼が登場すると正直和みます。バカで、女たらしで、臆病で、戦争を面倒くさいと上官の前で平気な顔をして言って、それでも、こうあればいいな、こうなってりゃ楽なのに、というのを一番体現している男。そして、みんながおかしくなっている状況ではそういうまともな人物が一番割に合わないということがこの映画では示される。彼もある意味そんな「まとも」という状態に囚われ続けた一種の狂人だったのでしょうか。今になって、そんな考えさえ思い浮かんでくる。 見終わったのち、観客は軍医と同じく呆然と「そんな馬鹿な」と呟くしかない。そしてこの映画における全てのプライドや言葉が、まさしく馬鹿げたものであったことを思い知る。そして観客が期待していた友情とか信頼とか、そんなものはもう、はじめから存在していなかったことに。存在していてはいけないのです、戦争なんだから。私たちが勝手に思い描いていただけです。ラストに<ネタバレ>ニコルソンが白目を剥いて卒倒した瞬間、小土井はなぜか大爆笑してしまいました。笑うしかないよ、もう、おかしすぎる。おかしすぎて、とってもやりきれない!もういっそ爽快だ! でもニコルソンはもう、ああするしか救いがなかっただろうなぁ。彼がどうなったかは分かりませんが…あれが一番楽だろうなぁ…そう考えると、斎藤とシアーズがとことん可哀想です。 あとやたらと勇ましく素敵な音楽が、この映画をコメディ風味に見せているところだと思う。ジャングルの中で鳥が飛び立つシーンやら、橋の遠景やら、景観はやっぱり恐ろしいほど綺麗だから、余計に。これだけ壮大な情景の中でこれだけきっついブラックなストーリーを作ってしまうのは、同じ英国でもモンティ・パイソン的ユーモア? |
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昨晩は『戦場に掛ける橋』、今日は朝(というか昼…寝過ごした!!;)から『アラビアのロレンス』、デヴィッド・リーン監督を梯子。そろそろ根負けしそうです。
とりあえず、リーン監督はアレック・ギネスといい、ピーター・オトゥールといい、 今はロレンス、そしてオトゥールの崇高さと、美しすぎる砂漠の景観にフラフラになり、以前見ていたときには見落としていた様々なポイントを発見してもっと精進せねばと落ち込み、正直頭が痛いですが(そして性懲りもなくラストの場面でアリと共に眼を潤ませてしまう自分が嫌だ)今年こそは『知恵の七柱』読破を!明日借りてこよう… |
ヘンリー・フォンダに腰砕けになっていたのでここ数日ブログもまともに打てませんでしたでは言い訳にもなりません。『暗黒街の弾痕』、フリッツ・ラング監督、凄い!もう面食いと言われても泣かない…(涙) のっぽさん具合(自分も背が高いので、より大きな人に憧れてしまいます)とあの睫毛ばしばしな眼に、もう駄目だ、やっぱりカッコイイ…パブリック・ドメイン化されてる出演作が多いのを良い事にちまちまとワンコインで収集する日々です。 試験が後一つ!ということですっかり浮かれ頭になり、DVD注文という悪癖が…以前から欲しかった『アラビアのロレンス』、安くデ手に入らないかしらなどと調べていたら、3,105円というお得な値段で三本組…小土井は非常に理想的な消費者です。こういうのを世間では無駄遣いというのでしょうか… まぁ、マーロン・ブランドは好きだし、ジャック・ニコルソンも…アカデミー賞取ってる名作だし!と必死で納得。 ところで、お目当てのロレンスですが。完全版と通常版は何が違うんだろう;分数はそんなに変わらないように思えるのですが… |
アル・パチーノが一番くどかった時代の映画。でも、映像の薄汚れた感じとか、リアルだなぁ、と。それに相変わらずのドナルド・サザーランドの怪演とか…『1900年』のアッティラみたいな。 小土井はアル・パチーノをリスペクトし過ぎる女なので先に粗だけ言っておきますよ。まず、別に恋愛映画にする必要がなかったんじゃないかな、という点。ヒロインと主人公が結びつく根拠が非常に薄い。それに、同時進行している「親子愛」というテーマとごっちゃになってしまって、どっちか一つならすっきりしたんじゃないかなぁ、と思ってしまったわけです。 話のつながりもはしょり過ぎてちょっと?なところがあったし…ヒロイン、死んだんじゃなかったの?; 尤も、一回見たらもうそれでいいか、と思うような映画ではありますが、一回は見ておいても損は無いと思いますが。(リスペクト開始) アメリカ独立戦争をめぐるお話なんですが、主人公がイタリア系、ヒロインがドイツ系…だったかな?ちょっと変わった血筋なんですよね。主人公のトム(パチーノ)は最初独立戦争には無関心。息子を連れてさっさと商売を終わらせて帰ろうと考えていますが、唯一の資産である船と愛する息子を軍に強制徴収されてしまいます。 一方のヒロイン、デイジーは裕福な家庭の娘。熱狂的な独立戦争の支援者です。金銭支援だけでは飽き足らず戦場に出て行きます。 巻き込まれた男と自ら飛び込んだ女。この言い方が適切かどうかが分かりませんが、二人はアメリカではマイノリティな人種です。人種のるつぼなアメリカらしい話ですが、熱狂的な愛国論者であるデイジーに比べてトムは「アメリカ」のことをどう考えていたんでしょうか。少なくとも彼が戦争に参加した理由は攫われた息子を守るため、という個人的なもの。個人の思いが大義に組み込まれていく。というか、所詮「国」は個人の集まりでしかないのでしょうか。トムも最終的には積極的に戦争に参加しているようですが、もし全ての「個人」がまったく同じ方向に動き出すようになったら…これは怖い。 この「愛国心」ですが、これはいわば「国」の自尊心のこと。トムは一度イギリス軍の捕虜になり狐狩りの的(?)にされるという「個人」の自尊心を傷つけられるような目に遭うわけですが、多分このような行為が積み重なって爆発した末が独立戦争なのでしょう。ここら辺の思考回路が平和ボケ大国日本人の小土井にはちょっとヤラしいなぁと感じてしまいます。 アメリカの最終マイノリティであるネイティブ・アメリカンに息子ともども助けられます。ここの繋がりもちょっとあざといな、と感じてしまうのですが、一番あざといのは瀕死の息子を腕に抱いたパチーノがぶつ大演説(笑)感動するシーンだぞこのやろうといわんばかりの場面ですが、大体皆さんここら辺で正気に戻ると思われ。それでもパチーノだから許しちゃう、と思ってしまう小土井も問題ですが(苦笑) 映像自体が先ほど言ったように、変わった撮影法をしているのか、非常に汚いのが良い。あとイギリス軍とアメリカ軍の戦闘シーンが圧巻。戦略もへったくれもなく勢いと情熱だけで突撃していくアメリカ軍と、機械的な秩序を以って隊列を組み、冷静に人を殺すイギリス軍。 最後のそれはどうよ!と叫びつつ、くどかろうが脂ぎっていようがやっぱり熱く演じ続けたパチーノはかっこいいよ、という終わり方で。 もうすぐ『バットマン・ダークナイト』が公開だと楽しみにしていたら主演のクリスチャン・ベールが逮捕されるし、地震の多発は怖いしで、ほんと、世の中どうなってるんだって感じですよね。被災地の皆様の無事を祈るばかりです。それと、映画の成功を。 |
ブライアン・デ・パルマ監督は、独特の美学を持っています。しかも、分かりやすい。感情も人間性も、いつだって一方通行。良くも悪くも非常に単純で。父は私が『アンタッチャブル』やら『スカーフェイス』を見ているといつも小馬鹿にしたような顔をします。 で、マイケル・J・フォックスといえばコメディのイメージしかなかったのですが、ちょっと考えを改めました。マイケル・J・フォックスは、「アメリカの信じられる部分」の象徴なのだな、と。良心なんて綺麗な言葉ではなく、もっといろいろ包括したような。私たちが(特に日本人が)、何よりもアメリカ自身が、「こうだ」と信じるアメリカ、むしろ信じたいアメリカ。そんな姿を、カナダ人のフォックスが飄々と演じている。うーむ…やっぱりアメリカって奥が深い国だなぁ… この映画でも徹底して正しい人間を演じるフォックスですが、やっぱり強烈なのはショーン・ペン。よく考えたらこの人、フォックスと1歳差なんですね; 主人公エリクソン(フォックス)視点から見た、戦場におけるベトナム人女性拉致誘拐強姦殺人事件の顛末。実行したのは彼の上司ミザーブ軍曹(ペン)ら仲間たち。 実話を基にしてるって聞くと、また気が重くなる…ベトナム戦争の映画には、必ずといって良いほど「狂気」という単語が付いて回りますが、この映画は誰一人として狂っていないのが悲しい。だからこそエリクソンは永遠に悩むわけだし、犯人は怒りを持ち続ける。 女性の身としてはやはり強姦だなんだというのは許せないし、見ていても辛いです。描写が変に生々しいし; さて、レイプには一切関わらなかったエリクソン。彼は任務終了後必死の思いで上官に訴えますが、誰一人として相手にはしません。曰く、そんなこと戦場では日常茶飯事だから、と。そうなの?こっわーいと言う前に、私にはエリクソンの行動がどうにもしっくり来ない。典型的なデ・パルマ節なのですが…確かに、彼は行動には加わらなかった。この徹底的な白、というのを見るたびに「分かってるよ、君は非常に正しいよ…でも、ああ…」と、非常に歯がゆい思いをします。彼は勇気がある。正しい。けれど、凄く生き難いだろうなぁ…小土井が彼のあまりにも清廉な純然さを醒めた目で見てしまうのは、自分が不純なせいか、それとも彼の生き方を軽蔑する世界がひん曲がっているのか… 対する軍曹。彼はエリクソンのネガ的存在です。彼は優しい。命がけで仲間を助ける。仲間が死んだときには涙を流す。彼はエリクソンや他の仲間、そして社会と違い、この戦争に意味を見出したのかもしれない。仲間を殺すベトナム人が憎い。だから戦う。目的のための目的でしかないのかも知れませんが、少なくとも自分を信じることができる。 エリクソンが仲間を憎む正義と、彼がベトナム人を憎む正義の質は、方向性が逆なだけで、まったく同じものです。勿論彼の行ったことは許されるものではありませんが―1番弱いところへぶつけてしまったのはすなわち彼の矛盾を表現している以外の何物でもありません。でも、エリクソンが自らを否定することで正義を貫こうとするのに比べ、軍曹が自らを肯定することで正義を貫いているので、楽っちゃ楽でしょうね。 彼らを狂っているなどということは出来ない。言ってしまったら、世界中の人間が狂っていることになってしまう。映画では残虐行為を克明に描きつつ、彼らが正常であることを示していきます。狂っていないということは、すなわち現実から逃げられないということですから、後々の苦しさも倍増ですが。 二人の対立はそのまま現在に持ち越され、またもやイラク戦争の是非について世間は揉めている。力極端な状況に引き裂かれ、混迷は続く…どうなるんだ、一体。 で、今回の歌はほんの些細なことなのですが。ショーン・ペンが少女を強姦するとき、鼻歌でディーン・マーティンの(よりによって私の大好きなディノの!!)『だれかが誰かを愛してる』を口ずさんでいたのですが、このシーンでこれかよ、と思いつつ、アメリカ人なら誰でも知っているような甘く平和的な曲があまりにもアンバランスで、何だか印象に強かったです。 描写がえげつないので、女性が見たら良い気がしないこと確実ですが、いつもと違うマイケル・J・フォックスとベトナムの姿はベトナム戦争映画の中でも異色と言って良いのではないでしょうか。 |
夏になると観たくなるもの。『JAWS』と戦争映画。 私の中で、ハリウッド製の戦争映画は、なぜか音楽と結びつくことが多いです。これは世間でも有名ですけど、たとえば『地獄の黙示録』の中の「ワルキューレの行進」とか。 今回は『フルメタル・ジャケット』を。そういえばマシュー・モディーンが主演だったんだな、と思い出しつつ…でもこの映画はハートマン軍曹のイメージが強すぎるっていう意見が満場一致で可決されると(笑) 正直頭の固い小土井には『2001年宇宙の旅』の真意はよく分からず、ただその映像の壮大さ、断片的かつ圧倒的なイメージの洪水に押し流されているうちに映画が終わってしまったというのが印象でしたが…キューブリック監督の作品は、見ているだけでも楽しい。映像が素敵だから。作品の中の全てのカットから、どこを切り取って絵にしても部屋に飾れるであろう監督は、ジョン・フォード監督とキューブリック監督と、今のところ私が思うのはこの二人です。 非人間的な海兵隊の訓練風景は、すっごいリアルなものだそうで。冷酷で、えげつなくて。「全ての兵隊を一度人間以下の最低の存在として貶めて、そこから新たに人格を与え再構築していく」んですって;そして忘れえぬ人、ハートマン軍曹…「ハートマン語録」なんてサイトが存在するくらいなので(しかしよくもまぁ、ウィキペディアもこんなサイト見つけてくるなぁ;)今でも一部でカルト的人気を誇っています。建前上私も乙女なので「まぁお下品!」とでも言っておきますよ。 どっちにしろ、あの鶏の傷口を突かせるような律し方は、自分もドジな人間なので、同じような空間に放り込まれたら絶対ああいう目にあうだろうなぁと思い身震いしてしまいます。何であのデブ君は海兵隊なんかに入っちゃったんだろう; それでも、この映画が他のベトナム戦争系映画に比べて重みを感じないのは、監督独特の無機質な世界が今回も広がっているから。無味無臭、と言いますか。御伽噺のような感覚。表面をたこ殴りにはされているんだけど、刺さりはしない、というか(よく分からないたとえ;)そこが監督の映画を何度でも見たくなってしまう点でもあると思うんですが。 主役が目立たないと先ほど書きましたが、今回は「非人間的」にされて個性を失った人間が集団化して…という状況だから、別にデバらなくて当たり前なのか。 わざわざ海兵隊という政府の施設に集められて作り上げられた機械のような心身ですが、それが揺らぐのがあのラストのベトコンとの戦いのシーンです。恐慌状態になった彼らが最後に見つけたのは、たった一人の少女。彼女も機械の如く正確無慈悲に人を殺していきますが、それなのに凄く人間的。このギャップがあんまりにも恐ろしい。この戦争における、アメリカにおける自分たちの役割を悟る。彼女のように、夢とか希望とか理想とか、そんなものとは程遠いけど。 だから最後、爆撃の中で彼らが「ミッキーマウス・マーチ」を歌いながらひたすら前進していくシーンは幻想的で、恐ろしい。映画を観て以来、この曲を純粋に聞けなくなってしまった… あと、エンドロールで流れるストーンズの『paint it, black』。凄く好きな曲で、今もこれを打ちながら流してるのですが(笑)今思えばこれもなんて不気味な歌詞なんだ;ミック・ジャガーの鼻声(?)の後ろでジャカジャカ流れてる、ブライアン・ジョーンズのシタールの音が素敵です。 |
慢性疾患である活字中毒を癒すため、夏休みに読む用の本を数冊買ってきました。最近往年のミステリー熱が再燃したため、乱読形式にハヤカワとか扶桑社のミステリーを買ってきました。 ミステリー好きを豪語しつつも、実は物凄い有名どころをちょろっと読んだ程度だということに気付き本屋へ行く度愕然としています。ドイルとかクリスティーとか…あ、父の影響で乱歩に関してはそこそこ読んでます。 で、この前『過去を逃れて』なるワンコインDVDを見ていたのですが、小土井はロバート・ミッチャムを見るたび、この人に酔いどれ探偵ことカート・キャノンをやって欲しかったなぁとしみじみ思ってしまいます。 今作を日本に紹介した都筑道夫氏訳のプロローグはとても有名。というか、これは都筑氏のオリジナルなんだそうですね。ああもうかっこよい… 『おれか?おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない。 カート・キャノンというのが、名前だ。以前をいえば、ニューヨークでも指折りの、こわもてのする探偵だった。だが、おれの女房は尻軽で、おれの親友は恥知らずだった。ふたりが、いっしょにいるのを見つけたとき、おれは、ふたりを拳銃で、殴りころそうとした。けれど、だれかが巡査を呼んだ。おれは、持兇器暴行罪で告訴され、私立探偵の認可証をとりあげられた。 いまは、ニューヨークの裏町バウアリで、ルンペンたちと暮らしている。だが、この裏町でさえ、ひとは悩みを持っている。この裏町でさえ、ひとはおれのところへやってくる。その人びとには、認可証など、問題ではないだろう。おれは、いまでも私立探偵なのだ。ニューヨークでも指折りの、こわもてのする探偵なのだ』 著者はカート・キャノン名義ですが実はエド・マクベインの変名というところが憎い。 キャノンの一人称で語られる、情けなくて、汚くて、ちょっとセンチな物語がどうにも好きで、ひそやかにファンを名乗っているわけです。 短編の方は手に入りましたが、長編の方は売ってないんだよなぁ…うっかり都筑氏が書いた贋作版にまで手を出してしまいそうな勢いです。 で、なんでミッチャムにキャノンかというと、なんと言っても彼はタフガイだし、小汚い格好が非常に似合うと思うからという非常に単純なもの。ほつれたタートルネックとか、破れて泥だらけのコートとか、ホームレスルックが絶対似合いそうだよ。(褒めてます)同じタフガイでもボギーでもブロンソンでもバート・ランカスターでもジーン・ハックマンでもなく…程よく都会的で、程よく女の扱いが上手そうなところとか。 にしても、ミッチャムの”スリーピング・アイ”は見てるこっちまで眠たくなってきそうですね。欠伸がでてきた…(そんな馬鹿な)(別に映画が面白くないというわけではありませんよ) じゃあ今なら誰が演じたら面白いかなぁと思うのですが、それはまた考え付いたら書こうかと。 |
久しぶりにパイソンズ関連の話題ですよ。(苦笑) ケヴィン・クラインがアカデミー助演男優賞を受賞。うん、あの熱帯魚を食べるシーン、大好きです。場所吐かないと全部食っちまうぞってほんとに水槽から掴み出して生きたままもしゃもしゃ食べていくクラインと愛しのペットを丸呑みされてやめてーゆるしてーと泣き叫んでるマイケルの掛け合いはめちゃくちゃ面白い… ジョンが脚本・主演を兼ねており、マイケルがゲスト出演。ノリは殆どパイソンズなので、好きな方にはたまらないと…ダイヤ強盗が盗んだダイヤをめぐるお話。 後にこれと同じメンバーで撮った『危険な動物たち』もそうなのですが、パイソンズ時代と違ってジョンはどうにも面白みのない役―要するに、いい奴、完全にはっちゃけることの出来ないお利口さん。他の役者が盛大にボケまくってるのに比べて、一人だけ浮いている―を演じていて、ナルシシズムといいますか、そこがイヤらしいなぁと言うのはあるんですけど(苦笑)一応モザイクが出るほど身体を張ってはいますが… 弁護士とか権力者を馬鹿にするのは彼らの十八番。そして上記の動物虐待ネタなど、一通り世間を逆なですることはやってます。 タイトルの「優しい奴ら」というのは日本で勝手につけられたものですが、愚かしい故の登場人物への愛着、ってことなんでしょうか。 |
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ただいま絶賛レポート&テスト勉強中につき更新減速中。申し訳ない…
よって家にあるDVDばっかり見てますが、必然的にジョン・ウェイン率が高くなる…あ、『カサブランカ』を見ました(実は今まで未見;)名台詞の宝庫ですね。それに、空気が素敵。日本人が共感しやすい優しさに溢れた作品です。(それを普通は優しさと呼ばないのだとしても) あまりにも名作の評判高すぎて、ちょっと手に付けにくいな、と今まで思っていたのですが、またそのうち感想を書こうかなと思います。私も落合信彦みたいにこの映画を擦り切れるまでみて英語の練習をしようかな… そういえば、こんなものを見つけました。 お前実は暇なんじゃないのかと言うなかれ。「マクパペット」なる、身体や服装などを組み合わせて作る、女の子なら昔誰もがやっていた着せ替え人形の電子版みたいなものですな。人様のブログを覗いてなんじゃこの可愛らしいのとか思っていたのですが、レポートを書くのに飽きたら「わー『リオ・ブラボー』だー」とか「わーい『レザボア・ドッグス』だー」とかやってます。そういう使い方をするものなのかは謎ですが。現代風の衣装が少ないのが残念(中世騎士道?みたいなのが多い)小土井はセンスというものがないのでどうもアチャーな感じですが、感覚の良い人がやったらほんと可愛くなるのです。 上は某タクシードライバーのつもりですよ…そう思ったら見えてきます! こういうのが出てくる背景には物事を何でもアイコン化したがる現代の風潮が、と講義取ってる社会学の先生だったら言うのだろうなぁと思いつつ、レポートに戻ります。 |
これもタランティーノが製作総指揮だ(苦笑)駄作との評価高い本作ですが、『パルプ・フィクション』前後くらいのエリック・ストルツが良くも悪くも癖がないさっぱり風味なのと、ジャン=ユーグ・アングラード演じるエイズに感染しやけっぱちになっている銀行強盗の曲者具合が上手くマッチしてるし、アングラな感じの「裏」パリの景観も面白い。 『レザボア・ドッグス』で映されることのなかった強盗シーンを作るとすればこんな感じかな…というストーリー。監督のロジャー・エイヴァリーについては詳しい知識がないのですが(というか、この映画しか知らないです…)よく言われるタランティーノのパクリというのはそれほど当てはまらないと思います。 まずタランティーノ映画には登場しない「情念」っていうのがちゃんと存在するところ。タランティーノ映画には「執念」は登場しても「情念」は無い。「スーパークール」って単語はまさしく彼のために存在するような言葉ですが、その分性格面での掘り下げが無いから嫌いという人が出てくるという諸刃の刃。 ゼッド(ストルツ)とゾーイ(ジュリー・デルピー)の関係は、<以下『レザボア・ドッグス』ネタバレ>『レザボア〜』における親切にしてくれたMr.ホワイトを裏切らなければならないMr.オレンジの良心の呵責と非常に近いですが、なぜかこれ以降のタランティーノ作品にはこういう内面描写がなくなりましたね。どこかで見たことがありそうなある意味「お約束」な設定なのですが、こういうしがらみを一切排除したタランティーノこそ本来異常な世界観なわけで。 映像もエイヴァリー監督のほうが情緒的だし。フレンチ・ノワールに近いのかなぁと感じるのは舞台がパリだからという先入観でしょうか?(苦笑) エイズで余命いくばくも無いエリックの自暴自棄具合に、ゼッドは恐れを抱いている。この常識人的視点がエリックにはムカついてたまらない。この悪循環の矛先がゾーイに向けられたとき話はややこしくなる。男・女・男っていうパターンは映画ではお馴染みのものですが、時々耐えられないくらい濃く煮詰まっちゃってるのとかありますよね。この映画はエリックの暴走具合が異常な割にはあっさりしててます。 緊迫感漂う強盗シーン、オチは<ネタバレ>ほぼハッピーエンドだし、タランティーノの流血が平気なら全然問題ありません。 |
ウィリアム・ボールドウィンは『バックドラフト』と『フラットライナーズ』しか見たことないのですが、最近何かに出てたかなぁ…兄上の方は良い脇役として時々拝見するんですか。 ヒロインのアンジェラ・ジョーンズが典型的ラテン美人で可愛いなぁと和むのもつかの間。美女が殺人鬼ならB級映画でよくありそうな設定ですが、彼女は殺人事件フェチ。小土井の友人にもジョン・ゲイシーやらチャールズ・マンソンについてのパソコンファイルをどっさりと作っている子が居ますが、彼女は流石に殺人現場の清掃業者に就職する気はないようです(苦笑) ボールドウィン三男はもっとこういう役をやれば良いと思う…というか、上記二つでもどこか病んでるような雰囲気があって、そこが魅力なのかもしれませんね。 テーマは相当気味の悪いものなのに、淡々と進むストーリーによってかなり緩和されています。日本に近いじめっとした空気の外、女性の一人暮らしらしからぬどこか温かみに欠けるヒロインの薄暗い部屋は蝋燭の明かりで彩られ、そして殺人鬼ブルー・ブラッド・キラーが佇む夜のプールサイドの青さ。気味が悪いのに、どこかユーモラス。大体<ネタバレ>鍵が壊れて現場に閉じ込められる殺人鬼って、どんな間抜けさん。 そしてヒロインがとことん無垢なのがいい。いや、無垢というか、欲望に純粋。清掃会社職員として現場を訪れる彼女の目に影は見えず、好奇心からくる明るさしかない。だからこそ、最後のあの可愛い笑みが怖…(震) ジンジャークッキーの首を包丁で切断したり、いかにもな映画的な描出を使ったと思えば、DVDジャケットにも使われる一連のダンスシーンの圧巻さ。ちょっと演劇的だなぁとさえ感じるこのシーンが一気に舞台をを盛り上げます。スカートがふわっと広がる描写、とてもエキサイティング…ヒロインと殺人鬼の掛け合いもなんだかヌケてる。 オチもとてもブラックだし。夏の夜にお勧め。 あ、製作総指揮がタランティーノなのですが、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のゲッコー兄弟(ジョージ・クルーニー&タランティーノ)がニュース番組に映ったり、お楽しみもあります。 |
好き映画『グッドフェローズ』の原作、映画ではレイ・リオッタが演じていたヘンリー・ヒルの回顧録を読んでいるのですが、映画版はほんと忠実に作ってあるなぁと驚きです。こんなフィクションと見まがうような世界が展開されているのですかブラウンズヴィル=イースト・ニューヨーク地区…; 劇中でジョン・ウェインが死んだというニュースが流れて、デ・ニーロが「ウェインがの死はひとつの時代の終わりだ」みたいなことを言う場面があるのですが、主人公ヘンリーはアイリッシュ・シシリアン、デ・ニーロ演じるジミー・バーグもアイルランド系、そしてウェインもアイルランド系。アメリカの体現者はマジョリティのWASPではない。同じくアイルランド系であったケネディ大統領はギャングとの繋がりがあったという説が有力。 完全なイタリア人でないためファミリー内でも異端だったヘンリーとジミーは、ある意味最底辺の存在。そんな彼らがもがいて暴れて、そして誰よりも贅を尽くす。アメリカの裏歴史。それが終わった途端、思わぬところから綻びが見つかり、まるで砂上の楼閣の如くいろいろなものが崩れていく。上記の台詞を付け足したスコセッシ監督のセンスは非常に洒落てると思います。 今ヘンリーのその後をウィキペディアで見ていたんですが、02年に奥さんと離婚なさったとか;現在ちょうどデ・ニーロと同い年、カリフォルニアでなかなかヤリ手の実業家として元気になさっているそうで。ジミーは96年に病死。もう、凄い… また映画の方が見たくなってきた… 本日は七夕!なんてロマンチな祭典!願いたいことはたくさんあるけれど、どれもこれも漠然としていて、これって幸せなことなのかなぁと思ったりしています。 |
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レポートの課題がてら大阪の国立国際美術館で開かれていた『モディリアーニ展』へ行ってきました。美術館に行くのなんて何年ぶりだろ…
これは映画を見るときにも言える事なんですけど、自分、頭が悪いくせに何でも理屈捏ね回しすぎだな、と。「Don't think!! Feel!」ってのが出来なくなったのはいつからだろう。 こういう絵なんて、薀蓄言わないで自分の中でどう思うか、もっとイマジネーションだけで鑑賞することが出来たらどれだけ素敵なことだろう、と思います。 モディリアーニの絵は、瞳がないものばかりではない。効果的に書き込んだり書き込まれたり(その違いが分かれば一人前ですか?)単純化された線と点描的な背景と。沈んだ色。放心したような人物の顔。落ち着いた気にさせると同時になんだかとても不安な気持ちになります。 モディリアーニの生涯を描いた『モディリアーニ 真実の愛』という映画はとても良かったなぁ…泣いてしまった。アンディ・ガルシアは繊細な役をあんなにも美しく出来るなんて、とても芸域が広い人。 ジェラール・フィリップが主演した『モンパルナスの灯』も見てみたいです。 |
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暑くてたまりませんが皆様どうお過ごしでしょうか。ここまで気温が上がると限界まで挑戦してみたくなりますね。クーラーのない部屋を閉め切って『狼たちの午後』を見るとか。あの銀行のシーンは死ぬほど暑そうだったなぁ…
朝の6時に一度目が覚めて燃えるごみを出し、それから8時まで再び寝てしまったのですが、眠りが浅かったせいか物凄く奇妙な夢を見ました。 どこかの劇場の舞台稽古。エキストラとして後ろのほうに突っ立っていた私はなぜか関根勤の付き人で、逃走しようとする彼を追いかけてデパート中を走り回ります。なんとか説得して劇場に連れて行くと、そこでは演出としてポール・ニューマンが大勢の人間に演技指導をしていました。上手く行ってないのか難しそうな顔をしています。「うわー本物だー;;」とその後姿を見守っていたらいきなり喋りかけられて更にワタワタし、とりあえず何か談笑してます。うそろそろ時間だな、というときに「サインしてください!」とノートを突き出します。やれやれと言った顔でサインをするニューマン。そこで「あなたの大ファンですっ最高でした『ロイ・ビーン』」とかまくし立てる小土井。そうしたら、「ああ、あれね」と笑ったニューマン背を向けざま手を振ってかっこよく退場。見送ったのち、小土井感動のあまり号泣している、ところで目が覚めたのですが本気で泣いていたという… あまりのイタさと突っ込みどころの多さにいろいろ笑えてきます。『ロイ・ビーン』はマニアックすぎるだろう(苦笑)そして何故関根勤… 目が覚めた瞬間思ったのは、ニューマンが死んじゃったんじゃないかという怖い第六感。思わず新聞とケータイのニュースを確認しました。基本不信心な女ですが、最近そういう感(?)っぽいのがよくあたるのでなんだか気持ち悪い…あーもう縁起でもないこと言ってごめんなさい! でも、彼が死んだら私は泣くかもしれない。ほんまアホやなぁ、と思うのですけれど。さよならの準備なんか出来ていない。 |
昨日投稿したつもりだったのに出来てなかった;何故だ?; ジョン・トラボルタとニコラス・ケイジ、移植されるならどっちの顔がいいかと妹に尋ねたところ「何の嫌がらせだ」と一蹴された小土井です。日本ではいまひとつ人気がない大物スター二人の一騎打ち。 また一つ劇場で見なかったことを悔やむ映画が…ジョン・ウー監督の映画を見るのは今回が初めてなのですが、アクションの流麗さに息を飲みました。サム・ペキンパーみたいなスロー、教会で嵐の予兆を感じて飛び立つ鳩の群れ、流線を描いて飛び散り降り注ぐガラスの破片、派手な火薬の爆発。もう、挙げていけばきりがないです。しかもこれら複数が立て続けでも全然間延びしない…あの鏡越しに銃を構えるシーンとか、ゾクっときた。あのシーンだけのためにDVD買ってもいいやって思うくらい。 導入部分はSFチックで、メインとなるアクションとのギャップにちょっと違和感があるのですけど、発想自体はとても面白い。サングラスを下げる仕草とか愛撫とか、お互い数点のはっきりした癖を挙げておく以外は役者の腕の見せ所。敏腕刑事のトラボルタがイっちゃってる凶悪犯のケイジに、ケイジはトラボルタに。でも過去に二人が演じてきた役柄のイメージとしては、入れ替わっちゃった後の方の役がそれぞれ似合ってるな、と感じるわけで…でも物語の上では人格が交換され…ああややこしい!!; インパクトでは冒頭のケイジがほんとにキモいし(大讃美)アクションも逃げまわすときの困惑顔もやっぱりはまってます。メリハリのある演技をなさる役者さんなので、どうしても印象に残りやすい。対するトラボルタは若干押され気味。刑事に成り済ました(つまり顔を奪って逃げた)時の行動がちょっと曖昧だし、奥さんや子供に対するラフさはいい感じなんですが…やっぱり美味しいところは全部ケイジに持っていかれた気が。ご愁傷様です。 とグダグダ言いながら、これだけアクションに特化されると正直ストーリーの粗なんかどうでも良くなってきます。タランティーノが惚れた男、ジョン・ウー。次は『M:I‐2』でも借りてくるかな。 |
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